無意識の行動の循環から一歩踏み出す

Foto: Thomas Pedroli
Foto: Thomas Pedroli

マッサージに来てくれる女性の中には

なんらかの性虐待を受けた人が少なくなく、

結構多いのは父親によるもの、

場合によっては祖父であったり、兄であったり、また別の人であったりもします。

推定では、女性の3、4人に一人がなんらかの形で性虐待を受けたことがある、と言います。

 

性虐待と言ってもいろいろで、

「性教育」と称して娘とポルノを見ながら触ってきた、

と実際に行動に移したケースもあれば、

「ペニスの先っちょが数センチでも入ったら、妊娠だぞ!」

と忠告する父親の性欲が自分に向けられているのを感じた、というようなケースもあります。

 

あるいは、具体的な状況は思い出せないけれど

ヨーニマッサージ中に

ふと、その人物の顔が浮かび、

無力感、おそれ、怒り、さらには悔しさがこみ上げてきたり。

その当時しっかりと感じる余裕がなく、

ましてや表現することもできなかったために

からだの中に冷凍状態でとどまっていた感情が、

今、安心できる場面でよみがえり、

出口を求めて言葉とからだで表される。

 

「やめて!」

「そんなのいや!」

「ばか!」

涙があふれ、嗚咽し、叫び、

こぶしでマッサージ台を叩いていると

いつしか顔とからだがゆるんできて

マッサージで触れられて痛かったところもほぐれ、落ち着いてくる。

 

たいていの場合、その女性の家庭では

両親の性生活が充実していず、

性にまつわるぎこちなさが上の世代から受け継がれています。

そうやって性というテーマと向き合わずに暮らしていると

性虐待をした本人自身、あまりに無自覚な部分が行動に出るため

娘が勇気をもってそのことについて話そうとしても

事実を否定したりして、

どうしても自分でも受け入れられない、

あるいは実際、身に覚えがないと思い込んでいることもあるようです。

 

そして、その女性の母親も自分の夫がそのような衝動を抱いている、とは信じられず

娘を理解し受けとめるより、夫を防御する方に回ってしまったりして、

ますます娘を孤独に追いやることになってしまったりします。

娘は自分の身に起こったこと、

そして、自分の心にあるおそれ、悲しみ、怒りなどを

聴いてくれる相手を最も必要としているときに、

孤絶してしまう。

一人でも本当に話を聴いてくれる人がいれば、

辛い目にあっても乗り越えていけるのに、

一人ぼっちになってしまうことによって

その記憶とそれにまつわる感情が「冷凍」され

からだにとどまってしまうのです。

 

それで、こころとからだの一部を閉じてしまい、

だれかとつきあっても、

本当には自分を開けなかったり、

長くつきあいを深めていくことができなかったりします。

過去の記憶が潜在しているため、

からだの隅々までまるごと自分を感じとることができないからです。

セックスをして子どもを産んでいても、

しっかりと自分のからだ、自分のヨーニとつながれず、

性的に結ばれても、パートナーと完全にはつながりあえず、

出産をしても、子どもとしっかりつながりあえなかったりします。

 

女性たちが自分のパワーと美しさを発揮しきれず、

カップルが自分たちのこころとからだに適う性生活の充実を求めて模索している

一つの原因がここにあるのです。

 

性生活が充実していないと、

二人の関係におけるわだかまりとなったり、

それぞれが抑圧されたものを抱えることになったりします。

そして、そのことについて話すこともなく

自覚に欠けていると、

無意識の部分が思いがけない時に頭をもたげ、

夫婦間の性虐待となってしまったり、

浮気、

あるいは無防備の相手に手を出してしまったりしてしまうのです。

 

だから、たとえ言い出しにくくても

話すことが大事なのです。

話して、意識の光をあてることができれば、

おそれ、羞恥、罪の意識、

そして性欲や欲求不満も

すべて人として抱くことのある衝動や感情であり、

本来何も隠す必要のないことに気づけると思います。

ただ、無視し、抑圧していると

負担となり、

意識の表面に上らせないために

多大なエネルギーを費やしていたりします。

 

一方、自分の内なる衝動や感情に気づき、

受け入れることができて初めて

本当に自分らしい選択を取っていくことができ、

そうすることによって

無意識の行動の循環から一歩踏み出し、

女性として、真に自分のこころとからだに適った生と性を生きてゆくことができるのです。

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