世界平和へとつながる性の生き方

Foto: Thomas Pedroli
Foto: Thomas Pedroli

先月「世界平和へとつながる性の生き方」と題するワークショップを

させてもらう機会に恵まれました。

まず初めに「このテーマを聞いたときに、どんな感情や考えが湧きましたか」

と参加者のみなさんに問いかけました。

あなたは、どうでしょうか?

あなたのからだは、どんな反応を示していますか。

あなたの心の中には、どんな動きが現れますか。

そして、どんな考えが浮かびますか。

 

性という言葉を読んだり聞いたりすると、

たいていの人は何らかの形で反応するのではないでしょうか?

どきどき、わくわくする人もいれば、

こわばったり、恥ずかしいような気持ちになったり、

両方まざっていたり、はたまた、全く別の反応をする人もいることと思います。

性は大人としての生活の営みの一部です。

あなたは性生活において満たされ、充実していますか?

それとも、欲求不満だったり、

どうしていいか分からなくて悩んでいたりしますか?

 

今の性生活が自分にとってどうなのか、

自分のからだの状態や心境を知っておくことは大切なことです。

というのも、自分の現状を意識することで、

自分が性をどう生きていきたいのかを選択していく自由が生まれるからです。

 

では、性の生き方がどのようにして世界平和へとつながっていくのでしょうか?

 

ある復員兵士が語っていたのですが、

兵隊になって、初めて無防備な人々を殺さなければならなくなったとき、

襲撃の後、みな自分のしたことに耐えきれず、茂みに駆け込んで嘔吐したそうです。

けれど、襲撃を繰り返していくうちに、少しずつ心とからだの反応が鈍くなり、

いつしか黙々と指令をこなすようになっていったそうです。

 

あるビデオで工業家畜の牛が

そこの職員にどのような扱いを受けているかを映していて、

あまりの残酷さに目をそむけたくなったことがあります。

 

人はどうして、人や動物を傷つけたり、

命を奪ったりすることができるのでしょうか。

それは、接する相手がどんな思いでどんなことを感じるか、

ということから、自分の心とからだを切り離しているからではないでしょうか。

そういう意味で、戦中の兵隊や工業家畜の職員の振る舞いは、

性虐待に共通するものがあるように思われます。

 

無実で無防備な人の目を見つめて、

銃の掛けがねを引くことができるでしょうか?

生まれたてでほやほやのひよこのあたたかさと柔らかさに触れて、

シュレッダーにかけることができるでしょうか?

 

相手の目を見ないから、

相手のあたたかさ、柔らかさを感じないから、

できるのではないでしょうか?

 

性的な出会いにおいては、

くつろぎ、開かれ、自分が柔らかくなってこそ、

真に相手とつながることができます。

ゆったりと自分を感じ、

そしてパートナーとのつながりも感じられます。

気を張ったり、ふりをしたりせずに、

ただ、あるがままの自分である中、

まるごと見てもらい、受け入れてもらえる幸せを感じます。

 

そして、そのようにくつろぎ、開かれるためには、

本当に居心地よく安心できることが大切です。

パートナーが自分のからだや振る舞いをチェックしているような気がしたら、

ストレスや緊張を感じてしまうでしょう。

また、自分の心やからだに傷が残っていたら、

つい防備しようとしてしまって、のびのびすることができないでしょう。

 

そのためにも、パートナーと語り合い、

痛みや悲しみや怒りもしっかりと感じて、

解放してあげることが大切なのです。

 

ゆったりと自分を感じ、

パートナーとのつながりを感じられるとき、

性に限らず、人生全般において

自分がおのずと優しくなり、

自分も

まわりの人々も、

そして地上に生きるものすべてが

大切に感じられ、

そのように生きる自分のまわりには、少しずつ愛が広がり、

いずれ世界平和へとつながっていくことでしょう。

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